右派言論人も使う「ネトウヨ」呼称

カテゴリネトウヨの実態


ネトウヨは常日頃「ネトウヨなんて言葉は在日しか使わない」などと主張しているが、果たしてそうだろうか?

しかし実際には日本の右派言論人も「ネトウヨ」あるいは「ネット右翼」という言葉を使い、ネトウヨの右派としてのレベルの低さを批判している。特に小林よしのりと櫻井よしこは「南京大虐殺も従軍慰安婦も捏造」と主張していることで有名なバリバリの右派言論人である。

このように、間違いなく日本人であろう右派言論人ですら「ネトウヨ」という言葉を使っている事実がある。これでもまだネトウヨは「ネトウヨなんて言葉は在日しか使わない」などと言い張るつもりだろうか。

ネトウヨ「小林よしのりと櫻井よしこと鈴木邦男は在日!」←そう言い張るなら信憑性のあるソースを出そうね。


目次


小林よしのりも使う「ネトウヨ」呼称



2011/10/ 4 19:26

漫画家の小林よしのりさんが、ネットのインタビュー記事の中でフジテレビデモへの参加者や「ネトウヨ」を批判する発言を行い、2ちゃんねるを中心に話題になっている。

小林さんは『戦争論』『天皇論』などを通じて時代状況や現代史について活発に発言、若い世代を中心にカリスマ的な人気を誇ってきたが、今回の発言はこれまでとはやや論調が違うと受けとめられ、戸惑いが広がっている。

国家を持ち出して「自意識を底上げ」する人間増えた

小林よしのりさんが3.11について書いた『国防論』。インタビューは2011年10月3日、ライブドアが運営する言論サイト「BLOGOS」上に掲載された。9月に『国防論』を発表したばかりの小林氏にその思いを聞くというのが趣旨で、9ページにもわたるかなり長い記事だ。

小林さんはまず原発事故含め、3.11以降に起きたことを漫画家として『国防論』で記録して残したかったことや、取材で行った被災地が「ソフト無法地帯」だったことなどについて話した。

その後、最近の若者について聞かれる中で、

「昔はみんな若者は左翼だったんだけど、今は保守か、なんか『ネトウヨ』みたいな感じになっちゃって、切り替わっちゃったかなという感覚はしますよ」「国家というものを持ち出しさえすれば自分自身の自意識を底上げできる、という人間が増えた」

と指摘。立場の異なる人を「左翼」だとか「売国奴」などと非難しつつ、自分は尊大に振る舞う、そのために国家や日の丸が利用されてきていることに、「わし自身は嫌悪感を覚えることがある」とまで言い切っている。

「なんかもう国家論やめたくなった」

さらに、韓流を強く推すフジテレビへの抗議デモについても、「韓流ドラマがいっぱいあるっていったって、いや、どうせ商売でやってるんだからとしか思わない」「怒る気もしない。まあ見なきゃいいんじゃないとしか思えなくなってくるんだよね」と受け流し、「ネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っておけば保守なんだ、愛国者なんだと思っている」と突き放している。

「しかも、君たち年収200万円以下の下層でしょ?・・・それでいいわけ?」「自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね」と手厳しい。

このインタビューはネットで大きな関心を呼んでおり、

「なんか宮台真司みたい」
「年収とフジデモは直接関係無いと思うんだ」
「他に怒れじゃなくて、全方位に怒ってもいいだろ」
「『ネトウヨ』とかいうレッテルを貼ればそれで安心ができるのかもしれないが、代わりに真実は見えなくなる」

と批判的なものが少なくない。小林さんの言葉がこれまで2ちゃんねらーの思想的な拠り所となっていた側面もあり、「よしりんももう大人になっちゃったのかねぇ 残念」とがっかりする声もあった。

一方で、「正論じゃん。ネット右翼のように人種差別してる奴らに右も左も味方するわけないな」「同意見だわ。ネトウヨは卑小な自己を国家という権威によって補完しているにすぎない」と小林氏に賛同する見方もある。10月4日現在、2ちゃんねるには約7000もの書き込みが寄せられている。

小林さんは記事の中で「なんかもう国家論やめたくなったなみたいな(笑)」とも語っている。10年以上にわたって国家論に取り組んできたが、「効果」がないと感じることもあるようで「わしだってやっぱりもっといろんな表現をしたいよ(笑)」「フィクションも含めて、違う漫画も描きたいなという欲望もあるよね」と話している。


櫻井よしこも使う「ネット右翼」呼称



2012.08.10 07:00

「朝鮮人は出て行け」と叫ぶネット右翼(ネトウヨ)たちは、日本が古来、「開かれた国」であったことをご存じか。それこそが、「日本らしさ」である。ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、ネトウヨは「歴史を学ぶべき」だと語る。 以下、櫻井氏の提言である。

* * *

ネット右翼」と呼ばれる人たちが、インターネットの掲示板で、あるいは実際のデモなどで存在感を高めています。ネットを含む新しいコミュニケーションが大きな力を持つようになり、歴史上初めて、一人ひとりの意見がその人の思惑を超えて、国を動かし、その国の政体までも変えてしまう強い力を持つ時代になりました。

しかし大きな力を持つがゆえ、そこに参加する人たちは自覚を持ち、賢明さを身につけなければなりません。ネットの熱い議論に参加する一人ひとりの成熟度が、ネットの力が日本を良い方向に向けるのか、混乱に陥れるのかの分岐点になると思います。

ネット上の書き込みを見ると、「朝鮮人は半島に帰れ」といったものや、韓国人女優をCMに起用した会社に対し、「ぶっつぶすぞ」というような排外的、過激な言葉が目立ちます。相手を誹謗中傷し、不満の捌け口にするような主張には事態を改善する力もありませんし、未熟な言論と言わざるをえません。そのような主張を展開する前に、まず大いに歴史を学び、事柄の全体像を見て、自身の言葉に説得力を与えるよう努力してほしいものです。

日本は世界でたったひとつの「日本文明」という独自の文明を持つ国です。日本文明の特徴は排外的であることとはまったく逆で、異なる文化文明に対してとても寛容なことです。一言で言えば、日本は基本的に完全に外に開かれてきた国です。

たしかに、江戸時代には鎖国をしました。けれども、判明している2700年近い歴史でみれば閉ざされていたのはわずかな期間です。鎖国を旨とした江戸時代においても完全に閉ざしたわけではありません。ほとんどの時代、日本は国を広く開き、海外の新しい文化や知識、技術、制度などを取り入れて、自分たちの生活や文化をより良いものにしてきました。

例えば聖徳太子は、仏教を受け入れました。国家が異教を受け入れるのはとても稀なことです。一方で聖徳太子は、ただ受け入れるだけでなく、「敬神の詔」を出して日本国の根本は日本古来の神道の神々にあることを明確に示しました。律令制度、つまり現在でいう官僚制度を導入して、国の統治機構を整備し、文化も宗教も取り入れ、それを日本独自のものに進化させてきたのです。

完全に開きながらも、尚、しっかりと、日本であり続ける。日本の中心部分は驚くほど堅固に守っていくのが、古来の日本のあり方です。従って、感情にまかせて単に「半島に帰れ」などと叫ぶとしたら、それは「愛国」でも「保守」でもありません。偏狭なナショナリズムや国粋主義に陥れば、必ず国際社会で孤立し、道を誤ります。ネット右翼と呼ばれる人たちには、決してそのような過ちを犯してほしくありません。

※SAPIO2012年8月22・29日号


鈴木邦男も使う「ネトウヨ(ネット右翼)」呼称



2012.08.13 16:01

ネット上で発生し、一部は街頭に出て活動する「ウヨク」(ネット右翼=ネトウヨ)たちを、“本家”の「右翼」はどう見ているのか。民族派団体、一水会顧問の鈴木邦男氏は、かつての自分の姿を重ね合わせた上で、彼らは言論の場に出て戦うべきだと提言する。以下、鈴木氏の主張である。

* * *

ネット上だけで活動しているネトウヨはもちろん、「主権回復を目指す会」(目指す会)や「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の一人ひとりは、寄る辺のない人間だと思う。だからこそ、「強くなりたい」と願うのだ。しかし、集団で「我々は日本を背負っている」と言った途端に、人間から巨大ロボットに変身したような気がしてしまう。それに加え、「北朝鮮に攻め込め」「韓国、中国を許すな」などと発言すると、その錯覚はさらに強まる。これは怖いことだと思う。

また、彼らはそうした運動の場に、「日の丸」をたくさん掲げ、自分たちは「日本」だと言う。しかし、外国人に「出て行け」と言う偏狭さが日本と言えるだろうか。

日本の歴史は、中国や西欧など、あらゆる文明をほとんど無制限に受け容れながら続いてきた。そうした咀嚼力、自由さ、鷹揚さは日本的であり、素晴らしい。だからこそ、「これこそが日本で、それ以外は許さない」という姿勢は“日本的でない”、と私は思う。彼らには、もっと「日の丸」を大事にして欲しい。

もう一つ、気になることがある。彼らが運動するきっかけの多くがネットであるせいか、敵と戦うことに免疫がないということだ。

私は、学生運動当時に、対立する左翼学生たちとしょっちゅう激論を交わし、時には殴り合った。それでも、敵にも優秀な人間がいる、いい奴がいるということはお互いに分かっていた。

しかし、ネット右翼は頭の中で架空の敵を作り、それを「反日」だと名指しして罵る。しかし、本当は、ナマの敵を知らないのではないか。

私は、言論の場に出ることで“いい敵”と出会う機会を得た。そこでは失敗もしたし、却って馬脚を露わしたこともあったと思う。ただ、敵とたくさん戦うという経験を経たからこそ、自分を冷静に客観視できるようになったのだ。

例えば、弁護士の遠藤誠氏(故人)のように、思想は100%違っても、尊敬できる敵は何人もいる。反対に、思想は同じだが尊敬できない人間もいる。一体感を原動力に運動している間は気付かないが、やがて時間が経つと、仲間の中にさえ、ろくでもない人がいることを知る時が来る。今後、彼らには、そうした試練が待っているのだと思う。

「自分たちを批判する相手とは会いたくない」「同じ考えの集まりが心地いい」と感じるのは、ネット右翼だけではなく、ネットで知りたい情報だけを読み、気の合う仲間とだけ集まるような、日本社会そのものでもある。

そして、在特会や目指す会を支えているのは、名前や顔を出さずに拍手喝采を送る大勢の人間だ。ネット右翼たちには、考えの異なる敵と討論することに挑んでほしい。たとえ仲間から追い出されたとしても、言いたいことが言えるかどうか。一人ひとりが強くなるためにはどうしたらいいのか。

そのためには、集団での単なる弱い者いじめをやめ、ネットという「安全地帯」を飛び出して、国のことを考え、発言する勇気を持ってもらいたい。

※SAPIO2012年8月22・29日号


  • 最終更新:2013-10-29 20:59:20

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