インドネシアでも慰安婦問題で非難される日本

カテゴリ従軍慰安婦


インドネシアでも問題になっている日本軍の従軍慰安婦性奴隷制。そしてこの問題を必死に隠蔽しようと画策する卑劣な日本。ちなみに、このほか日本軍はインドネシア在住のオランダ人女性も性奴隷にしていたことが明らかになっている(白馬事件)。

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目次


インドネシア元「慰安婦」 マルディエムさんの証言



だまされて「慰安婦」に

1942年(当時13歳、ジョグジャカルタで、芝居をやる人を捜しているという日本人医師ショウゲンジに誘われて応募した。

医師の検査で応募年齢に達していないと分かったが、他の応募者47名とともに鉄道と船を乗り継いでスラバヤまで行き、24人の仲間とともに南カリマンタンの州都バンジェルマシン郊外のトラワンに連れていかれた。そこの「慰安所」でそれぞれ個室と日本名が与えられた。その翌日、運営責任者のチカダに軍の病院に連れていかれ、検査を受けた。

まだ13歳だった
 
それから生理の始まる前の13歳で続けて6人も客をとらされたためひどく出血し、辛さのために死んだ方がましだとさえ思った。

客をとったと言ってもお金を貰ったわけではなかった。

昼間は軍人が、夜は民間人が利用した。出血が止まると一日10~13人の客をとらされた。

1942年から1945年まで3年以上働いた

14歳で妊娠中絶

1943年に妊娠してしまい、中絶をすることになった。麻酔も鎮痛剤もなしの手術だったのでとても痛く体を動かすことが少しもできなかった。

出された赤ちゃんは男の子でまだ生きていた。今でも、子どもを殺したという罪の意識にさいなまれている。

中絶後、3ヶ月の休暇をもらった。連合軍の空襲が始まり、中絶から半月経った頃、トワランに逃げ戻ったトコロ、チカダにレイプされて、体だけでなく心も痛めつけられた。自殺も考えたが、宗教心が強く、自殺は罪だと考えていたので、できなかった。

その後慰安所には第二陣、第三陣が到着した。

ある日突然、日本軍がいなくなり、チカダもどこに行ったか分からなくなった。チカダからは慰安婦をやめて村に帰るときにまとめて支払うと言われたが、一銭も支払われなかった。

日本政府は責任をとって!

日本政府には、3年間働いた報酬に着いての責任を持ってもらいたい。体をずいぶんわるくした。

友達のほとんどが子どもを産めなくなったことの責任も持って欲しい。

50年以上前の話だけれども決して忘れることができない。

二度と戦争はしないで!

若い人たちに言いたいのは、二度と戦争をくり返してはいけないということ。

本当に戦争が憎い。戦争によって犠牲になるのは何の力もない人たちだからだ。


インドネシアの元「慰安婦」の証言



2005年8月12日(金)「しんぶん赤旗」

■元「慰安婦」の証言

日本の軍政下、インドネシアで「慰安婦」にされた女性たちもいました。日本軍の性奴隷制を裁いた二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷でもインドネシアの女性たちが証言しています。

▼マルディエムさん

「私は痛かったし、惨めな気持ちでした。彼らは私を人間としてではなく、モノか道具のように扱いました。彼らは『慰安婦』を動物のように乱暴に扱ったのです」

▼スハナさん

「私が最もいやだったのは話すのもはばかられるようなことです。足を開くことです。彼らは私の足を開いたままにさせました。屈辱的でした。暴力から身を守ろうとすると、彼らは怒りました。『おまえ、こっちへ来い』。私はけられ平手打ちを受けました。私の顔ははれてしまいました。私の体はぼろぼろにされました。恥ずかしいことです。私は子どもを産むことも結婚することもできませんでした。私の子宮は摘出されてしまったからです」


インドネシア「非難声明、穏当にした」 慰安婦問題



2013年10月13日11時2分

韓国で慰安婦問題が沸騰した後、日本政府は真相究明よりも東南アジアへの拡大阻止を優先して動いていた――。約20年前の外交文書を入手し、取材班はこの夏、インドネシアへ飛んだ。スハルト大統領の独裁下にあったインドネシア政府が日本の外交にどう対応したのかを知るためだ。

慰安婦問題、東南アへ波及阻止

■スハルト氏の意向くむ

インドネシア政府が日本の調査結果を非難する声明を出したのは1992年7月。声明を書いた当時の外務省政務総局長ウィルヨノ・サストロハンドヨ氏(79)が、ジャカルタの研究機関の自室で2度にわたり4時間半、取材に応じた。


慰安婦記録出版に「懸念」 日本公使がインドネシア側に



2013年10月15日3時2分

駐インドネシア公使だった高須幸雄・国連事務次長が1993年8月、旧日本軍の慰安婦らの苦難を記録するインドネシア人作家の著作が発行されれば、両国関係に影響が出るとの懸念をインドネシア側に伝えていた。朝日新聞が情報公開で入手した外交文書などで分かった。

日本政府が当時、韓国で沸騰した慰安婦問題が東南アジアへ広がるのを防ぐ外交を進めたことが明らかになったが、高須氏の動きは文学作品の発禁を促すものとみられ、当時のスハルト独裁政権の言論弾圧に加担したと受け取られかねない。

当時の藤田公郎大使から羽田孜外相あての93年8月23日付極秘公電によると、高須氏は8月20日にインドネシア側関係者と懇談し、作家の活動を紹介する記事が7月26日付毎日新聞に掲載されたと伝えた。

この記事は、ノーベル賞候補だった作家のプラムディア・アナンタ・トゥール氏が、ジャワ島から1400キロ離れた島に戦時中に多数の少女が慰安婦として連れて行かれたと知り、取材を重ねて数百ページにまとめたと報じた。公電で作家とインドネシア側関係者の名前は黒塗りにされているが、作家は同氏とみられる。


慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」



2013年11月28日05時00分

慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。


インドネシア副大統領、安倍首相に戦争被害者への謝罪呼びかけ



2015年08月06日

シンガポールメディアの聯合早報網は5日、インドネシアのユスフ・カラ副大統領が4日、日本の安倍晋三首相に対して、第2次大戦の被害者に謝罪するよう呼びかけたと報じた。

中央社の報道によると、副大統領は4日、「日本―東南アジア国家協会メディアフォーラム」の出席者らと会った後、「安倍首相が戦争の被害国に謝罪できればいいと思う」と語った。日本軍は戦時中、オランダ領だったインドネシアを占領し、軍政を敷いた。

副大統領は先ごろも、「日本が大戦の被害者に謝罪するのか、それとも遺憾を表明するだけなのか、それを決めるのは安倍首相だ」と発言しており、「安倍首相が被害者に謝罪することができれば、戦時中に日本から被害を受けた人々の感情はずいぶんと改善される」、との考えだという。

インドネシアの資料では日本軍による占領当時、現地の女性たちが慰安婦として強制徴用されたと指摘されている。先ごろ上映されたインドネシアの独立を描く映画の中でも、現地の女性が日本軍の慰安婦として強制徴用されるという描写があり、物議を醸した。

(編集翻訳 恩田有紀)


  • 最終更新:2015-08-12 07:19:16

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